onna-k-hibimo7964の日記

妄想と独り言のようなものから行動を起こす

やはりこれが現実!

8月24日

やはり自分にはこの手の本が一番性に合ってるような気がしてきます。

先ほど数日ぶりに手に取り読んだ本のある件について書きます。

 

P27
・・・食器は汚れを拭き取ってから洗おう。・・・絶対に流して捨てない。私たち自身が日ごろからそう心がけないかぎり、生活排水による汚染は進む一方なのである。・・・「ちょっとぐらいいいだろう」という気持ちが、川を汚し、藍藻類の異常繁殖をもたらし、水道水の蛇口に戻ってくるのだ。

やはりこういった類の物事に真摯に取り組んでいる本を読まなければ、私たちは真により良い文化、文明を伝承していけないのではないか?という感想は、決して「大袈裟」ではあるまいと思う。やはり自分にはこういったことを書く使命のようなものがあるのかもしれないとさえ思ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

この著者には見えているものは何か?

8月14日

以前、山城眞氏の「100人の一歩の科学ー経皮吸収による複合汚染」

 

 この本について少し書かせて頂いたのですが・・・中途で別の本、別の本と移っていたので、今頃になってようなく読み終えましたので、今日は久々のアップなのですが、その感想を少しだけ書かせていただきます。著者はもともと中学の理科の教師だったようですが、カバーを見てもわかるとおり、「ベストエコロジー」という名の会社の代表取締役です。そういうこともあってか、後半のほとんどがN社のコマーシャルのようになってしまっているのに、臆するところがありません。とはいえ、結構説得力があると思いました。でも実感が持てなかった「100人の一歩」の考え方が、6章を読んで、ようやくわかったような気がしました。・・・というか、この著者の「信念」でしょうか。ぼんやりとですが(自分が鈍いだけかもしれませんが)著者の石油を基盤とした人口の有機物質群に頭から疑問を投げかかるような形で論じてるように感じること、そのことが、ここではじめてわかったような気がしました。そして繰り返しますが、「100人の一歩」の考え方が。この著者には「その理屈が、もう論ずるまでもなく自明で、はっきりと見えている」そんな印象を持ちました。

 

・・・ちょっと待って!・・・

7月24日

前回に引き続き、またも「沈黙の春」。でも今日で終わります。それで、最後に一言。

 

 解説の終わりまで読んで、ふと解説者の言ってみれば「結論」的なものにやはり大いに疑問を持ちました。「…結局この本に書かれていることは、そういうことになるのですか?」という疑問です。自分が感じることは、大きく二つあります。一つは、「有効な駆虫法」を切望していたところに、化学薬品が登場し、「これはいい!」となったとしても、この本にあるような悲劇的現実を認めざるを得なかった場合、“やっぱりやめられない”ということになってしまうのが、果たして本当に人間の性のゆえなのか?ということです。つまり、この本により報告されてる重大事実の数々を農業にかかわる人たちがみな共有したうえでの、従事者の選択なのか?ということです。自分はそうではないと思います。道を選んできたのは、主に薬品会社らでしょう。なぜなら、ほんの一握りの重役ら以外、実質、意思決定には、かかわれないのが普通だからです。ということは、すくなくとも農業をしている人たちではない。「主に、意思決定にかかわった人たちに、世界をこれほどにした責任を取って頂く」と考える人がいたとして、自分なんかは、その考えに「何ら意義を立てられない」と思います。
もう一つは、“解決策”を限定的概念(全てか?無か?といった類の)に閉じ込めていることです。おおよそ「こちらを立てれば、あちらが立たず」ということは、どんなことにもあります。しかしまた、どんなことにも程度というものもあるはずです。この書は、いうまでもなく“度を越している”から報告されているのです。徹頭徹尾そのように書かれているのではないのですか?“文明を築く”ということに対してもっと真摯になってほしいと思いました。

どちらが実際的か?という考え

7月23日
 P308
…そのとき、ジョン・スノーというロンドンの医者がコレラ発生の地図をつくり、その発源地をつきとめた。その地域の住民は、ブロード街にある一つの井戸から水をくんでいたのだった。さっそく、井戸のポンプの取っ手を外してしまった。・・・コレラ菌を殺す魔法の薬ではなく、環境からコレラ菌を絶滅することによって、伝染病を抑えることができたのだ。・・・対策の面での成果も、患者を治すということばかりでなく、伝染病の震源地を弱めるとうことにある。・・・いまや、私たちの世界は、ガン因子でいっぱいだ。ガンを抑える《奇跡の治療法》がそのうち見つかると思って、治療の面ばかりに力を入れ、発ガン物質の海がひろがるのにまかせておけば、ガン征服も夢に終わるだろう、とヒューパー博士は言う。
 P309
たとえ《夢の治療法》が見つかってガンを抑えられたとしても、それを上回る速さで、発ガン物質の波は次から次へと犠牲者をのみこんでいくだろう。なぜまた、ガンについて、予防という常識的な対策をすぐにでも取ろうとしないのか。・・・だが、ガンが発生しないように予防する方が、《ガンにかからせてからなおすより、明らかに人間的》であり、また《はるかに効果的》ではないのか。《朝食の前にいつも魔法の薬を飲めばガンにならない》という甘い考えを持っていいのか・・・

 

 おそらく今では、「いたるところの《危険因子》に対して、どうすることもできないのだから、薬に頼るようになってるのではないですか?」といった反論も出そうです。でも、冷静に読んでみると、上のヒューパー博士のような研究者の立場から、“がぜんそう思えている”ということなのだろうと思いました。いちいち気にしていたらきりがないということはたしかにあると思います。でもある意味、覚悟を決めて手段を変え、生活を変え、文化を変えていくという道以外に前向きで、実際的な道はないような気がしました。

 

数十年のズレ!?

7月22日

沈黙の春

P261~262
ミトコンドリアは、60年以上も前(解説によればこの書は1962年に出ているので、1900年には既に…ということか)に発見されていたが、たいした機能をもたないと思われていた。…ミトコンドリアの研究が脚光をあびはじめたのは1950年になってからで、ここわずか5年間に1000点を数える文献が現れた。ミトコンドリアの神秘は、科学者の驚くべき叡智と忍耐によって解き明かされた。…こうして明らかになったことは…ミトコンドリアは、エネルギーを生み出す仕事をほとんど一手に引き受けてい発電所》に似ている。…ここで酸化作用が完全に行われ、莫大なエネルギー量が放出される。…ミトコンドリアの内部では、ぐるぐる回る輪のように休む暇もなく酸化作用が行われている。酸化循環の各段階で発生するエネルギーは、生化学者がATP(アデノシン三リン酸塩)と呼ぶ形をしている。
P263
ATPは、いたるところに見られるエネルギーの供給源だ。微生物から人間まで、あらゆる有機体に見られる。機械エネルギーを筋肉細胞に供給し、神経細胞には電気エネルギーを供給する。精子細胞、受精卵子(カエルになったり、鳥になったり、人間の子になったりする、ものすごい爆発力を裡にひめている)またホルモンをつくる細胞ーこれらはみなATPの供給を受けている。…神経細胞ではほかの細胞とのつぎ目に見られ、インパルスの移動に必要なエネルギーを供給している。
P264
遊離状態にあるリン酸塩基とADP(アデノシン二リン酸塩)が結合してATP(アデノシン三リン酸塩)に可逆的に変化する反応(バッテリーの充電)は、酸化プロセスと結びついている。…強い場合は、共役リン酸化と呼ばれる。この連合反応がなければ、必要なエネルギーを供給できなくなってしまう。…空回りするエンジンのようなもので、熱を出すだけで力は出ない。筋肉は収縮できず、インパルスは神経をパスできない。…やがて組織が死に、そればかりか有機体そのものが死滅してしまう。共役反応が起こらない場合とは?たとえば、放射線。…そしてまた不幸なことには、酸化とエネルギー発生とを切り離してしまう化学薬品が多い。殺虫剤、除草剤もその仲間だ。…

 

 お恥ずかしながら、ミトコンドリアの働きが注目を浴びているという話は(テレビなどの番組を見ていて)比較的最近(ここ二、三十年ぐらい)だと思っていました。しかし、ほとんど変わらない同じ内容の話しが、1950年代に既にある!思うに、自身の認識とのズレが30~40年ほどあるような気がしました。それから、著者のレイチェル・カーソン女史の探求心の深さ、粘り強さはさておき、最先端の研究者らと私たち一般市民の知識(認識)とのこのようなギャップをどう考えればよいのか?著者でなくとも「非常に悩まし」く思いました。単に理屈として、とても分かりやすく思えましたし、翻って「単純明快」であるなら、もう少し(この沈黙の春は、かなり話題になったはずで)違った道を人類は選択できなかったのだろうか?という素朴な疑問をつい抱いてしまいます。しかし、そうはならなかったし、今もたいして変わっていないのでしょう。「有機栽培なんてまやかしみたいで自分は大嫌い」と言う知人もいますが、たとえ現今の「有機栽培」に、それを前面に出すことがナンセンスなほどの裏があったりしても、どこに隠されているかわからない「無数の地雷が埋められている」ことを、絶えず頭の片隅に置いておかなければならない事情は、少しも変わらないはずです。

本当に怖いのか?

7月19日

沈黙の春

 

P216

・・・農務省(アメリカの)は、ヒアリ防除計画の支援を得ようと、宣伝映画を提供したが、このアリに刺される恐ろしい場面がいろいろ出てくる。たしかに刺されれば痛いし、みんな注意しなければならない。だが、それは、ふつう蜂に刺されないように用心するのと同じだ。体質的に敏感な人によっては、ひどく反応することもある。はっきりとわかっていないが、ヒアリの毒のせいではないかと思われる死亡例が一件、医学的に残っている。ところが、蜂に刺されて死んだ人間は、1959年に33人もいる。(人口統計局の調べによる)だが、蜂の方は《根絶》しようなどと言い出す人が誰かいたとはついぞ聞かない・・・

P217

ヒアリアラバマ州に住みついてから40年にもなり、またそこに一番集中しているのに、アラバマ州立保健所の言うところでは《ヒアリに刺されて命を落とした記録はアラバマ州では一度もない》。そして、ヒアリに刺され治療を受けた場合も《付随的》に起きた症状だという・・・こうした問題を論ずる最適の人は、おそらくモーリス・F・ベーカー博士だろう。博士は、アラバマ州オーバーンの野生生物研究所グループのリーダーで、この方面には長年の経験を積んでいる。ところが、ベーカー博士の意見は農務省の言うこととは正反対なのだ・・・

今からもう60年も前に、ヒアリの「危険度」もほぼ“定着”(それも、特別心配するほどのレベルでない)しているように思えます。“ヒアリの日本上陸”とその“繁殖”を“一大事”にしてしまっている“心理”はどこから来ているのでしょうか?名著を読まないと知りえない事実が、ここにもありました。

 

 

 

 

 

・・・似ている!

7月18日

誰もがご存じ朝ドラ「ちゅらさん」で村田雄浩が連発していたセリフ。でも今、「沈黙の春」の

 

 『空からの一斉爆撃』の件を読んでいたて(実はその数章前から感じていたのですが)やっぱり「似ている!」と思いました。国(行政)のやり方(体質)。少しだけ触れると、ずばり、コ〇ナ報道とワ〇チン接種の推進です。テレビニュース(自分が見ているのは、ほとんどN〇Kですが)ワールドニュースでも、副作用について一方では結論として「ワ〇チンが原因とは考えにくい」と流しておきながら、わずか数分後には少し違った角度の話題の中で、ワ〇チンによって血栓ができるリスクを認めるような発言があったりしましす。「おかしい・・・」と思いました。そして今もご覧の通り、実態も伴わず、エビデンスもはっきりしないままイケイケどんどん。「かつてこんなことってあったか?・・・」と思われる不自然さがたくさんあるのに、他の情報は一刀両断、「間違った情報に惑わされないように!」とうそぶきます。これだけでは、本との類似点はかわからないでしょうが、読んでもらえれさえすば、何となくならわかって頂けるように思います。確かにこの本は通読するには、つらいところがあるようです。でも、こんな時代だからこそ、是非一読を!と、言わずにはいられないのです。