祈るのみです
7月10日
今日から、中途半端になっていた レイチェル・カーソンの「沈黙の春」
にもどらせて頂き、これも数回にわたって書いていこうと思います。今日は、四の「地表の水、地底の水」を読んでいたのですが(ほんとにこの本は目くるめく話がぎっしりです)帰宅寸前に、同じ町内会にある水田数枚のあぜ道が除草剤で茶色一色になっているのを目の当たりにし、「おねがいだだらやめてくれ!」と心で泣いていました。殺虫剤、除草剤でどれだけ水が汚れてしまうか、そしてそれがどれだけ不可逆的なものか、そんな話を読んだばかりで・・・とはいえ、持ち主に文句を言うわけにもいかない・・・せいぜいその人も、何かのはずみでこの本に出合って・・・というようなことを祈るのみだと思いました。聖書にはイエスキリストが弟子たちに、こんなことを語った場面があります。
主(イエス)は言われた。
「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう (共同訳聖書 ルカの福音書17章6節)
この話は物語としても(仮にフィクションだとしても)不思議な話です。
カーソン女史の話を辛抱強く読んでいると、「このような話も本当であって欲しい」と思ってしまいます。せいぜい祈ります。祈りが効いたら、是非お伝えします。